K.A.F.U.とK.U.F.U.(永井荷風とライムスター)
遡ること数日、2021年4月30日は、永井荷風氏の命日でした。
終戦翌年、1946年(昭和21年)1月16日に現在の菅野3丁目にあった大島一雄(杵屋五叟)氏の家に間借りするかたちで市川市での生活を始めた永井荷風氏は、終の棲家となった京成八幡駅近くの自宅で亡くなった1959年(昭和34年)4月30日までの13年3か月、66歳から79歳までの期間を、市川市内で暮らしたことになります。
京成八幡駅のすぐ近くにあった小料理屋、大黒家に通っていたKAFU氏は、亡くなる前日にも大黒家で食事をしたことが知られています。!ka !ch!kawa 第73回『永井荷風とライムスター』で、KAFU氏の市川市内での生活の(嗚呼、幾つかの)場面について話しているので、是非、リッスンしてホシーノ!
▼永井荷風とライムスター(!ka !ch!kawa 第73回)
なお、!ka !ch!kawa で話した内容は、ほぼ市川市公式Webサイト内の『荷風の散歩道』に書かれている内容です。アシカ・ラ・ズー。
市川市に住んでいたKAFU氏は、浅草に通っていたわけですが*1、雑誌『東京人』の表紙(上の右画像)に「愛すべき散歩者」と記されている通り、KAFU氏は市川市内や隣接する船橋市の様々な場所を訪れています。
こちらの素敵なWebサイトで「愛すべき散歩者」ことKAFU氏が訪れた各所のことを詳しく知ることができますよ。
KAFU氏は自由を愛する個人主義者で、他者との共同生活は性に合わなかったことが知られています。
隣室から聞こえてくる稽古三味線やラジオの音を避けて、荷風はしばしば近くの白幡神社や、諏訪神社、市川駅の待合室で読書をし、時間を費やした。
というわけで、市川市で晩年を過ごしたKAFU氏の話を綴りましたが、上で紹介した !ka !ch!kawa 『永井荷風とライムスター』では、ライムスターの『K.U.F.U.』という素晴らしい楽曲の話もしています。歌詞の主題は文字通り「工夫」です。
常に研究
常に練習
知恵を結集し
君をレスキュー
武器はたゆまぬK.U.F.U.
武器はたゆまぬK.U.F.U.
武器はたゆまぬK.U.F.U.
出所:ライムスター『K.U.F.U.』
歌詞(リリック)はこちらで読むことができるので、チェックしてホシーノ!
はっぴいえんどや矢沢永吉氏、桑田佳祐氏など、日本語をロック・ミュージックに乗せて歌うためにK.U.F.U.=工夫をしてきたミュージシャンがいるように、日本語ラップの方法論や、なぜヒップホップをプレイするのかという思想について、スタイルについて、1989年の結成当初から検討し、K.U.F.U.=工夫を続けてきた代表的なヒップホップ・ミュージシャンがライムスターです。
この『K.U.F.U.』という曲については、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」のバトル部門に日本代表として出場し、見事優勝、世界一のDJとなった(Creepy Nutsの)DJ松永氏が、この曲のことをラジオ番組内で語っているうちに感極まって号泣 した、というエピソードも有名です。
小生は、Creepy Nuts がライムスターと共演して『K.U.F.U.』をプレイした2020年2月のステージを見ていますが、実にエモいステージでした。
ヒップホップ史上、俺が一番泣ける曲だと思ってるのがライムスターの『K.U.F.U.』で。
出所:ミヤーン氏のブログ。元の出所は、DJ松永氏の発言(TBSラジオ『ACTION』2020年2月12日)。
関連のない2つの要素を(強引に)つなぐのが好きな小生が K.A.F.U.氏のことと『K.U.F.U.』のことを話している !ka !ch!kawa もあわせてリッスンしてホシーノ!
いずれは市川市出身のラッパー、SKY-HI氏のことも綴ってみたいと思っています。
それでは、またお会いし魔性。ノスタルジー鈴木でした。
*1:永井荷風氏は、今のJR総武線で浅草橋まで出て都電で浅草に至るルート、市川駅前から上野行きのバスで浅草に至るルート、京成線を利用するルートの3パターンのルートで浅草に通っていたようです。参考文献はこちらです。→
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000130223
八幡の藪知らずについて語るときに僕が語ること
市川市に住んでいる、あるいは、棲んでいる皆様、こんにちは。
そうではない皆様も、こんにちは。
ノスタルジー鈴木です。
「行ってまいりましたよ、先日」
「何処に?」
「市立市川歴史博物館に」
「何をしに?」
「展示を見に」
「何の?」
「『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』の」
と、いうわけで、行ってまいりました。
新型コロナウイルス感染症拡大によって開催時期が後ろ倒しになっていた『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』展に。
貴重な展示を見ることができ、市川駅から京成バスに乗って堀之内まで行った甲斐がありました。貝がありました、としても、ここではあながち間違いではありません。博物館は堀之内貝塚公園の入口にあるからです。
「博物館前」というバス停から歩いて歴史博物館に向かう道中は、葛飾八幡宮や藪知らずのある本八幡エリアとは全く異なる景観が広がっています。このあたりを「奥市川」と呼び、この地域を愛でる人たちもいると聞きます。小生も、薫風を浴び、プロテイン・バーをムシャり(むろん、ストリートで!)、立ち止まって野原に咲く花を眺めました。広い空の下で!
ところで、入るべからずと言われている禁足地、八幡の藪知らずに入ったわけでもないのに、その呪いにかかってしまった(と思いこんでいる)男がいます。
他ならぬ小生、ノスタルジー鈴木です。
▼藪知らずの呪い (『!ka !ch!kawa』第72回)
!ka !ch!kawa 第72回の放送は、gate.で飼育中のメダカの餌を買うために出かけてしまったために稲村ジェーンさんが不在で、ノスタルジー鈴木がひとりでお送りしたのですが、冒頭では、『ひとくち怪談~虫唾~』という、本八幡のライヴ・ハウス Route Fourteen で2021年4月25日(日)に開催された怪談イヴェントを鑑賞した話を快調にしていたにも関わらず、中盤で「藪知らずの呪い」にかかってしまった(かもしれない)のです。
なお、この『ひとくち怪談~虫唾~』は、あの肩幅ヒロシ氏が主催したイヴェントで、特別ゲストとして(物知りの)鈴木直幸氏、そして、本八幡bot氏が登場したのでした。本八幡bot氏にとっては初ステージだったそうですが、日頃のTwitterでの発信力とは別の力である、調査力(と書きはしましたが、発信の準備にために、日常的に色々な調べ物をしているのですよね、bot氏は)をいかんなく発揮しておられ、独自の調査に考察を加えて語られた市川市にまつわるミステリーに、ぐいぐい引き込まれました。
本八幡bot、本日ライブ出演いたします!本八幡Route14様にて「ひとくち怪談〜虫唾〜」という怪談話ライブですね!
— 本八幡bot🌸 (@motoyawata__bot) 2021年4月25日
市川市にまつわる『奇妙な配置』などの話をさせて頂くぞ!
感染対策した現地またはYouTube配信で見られます、詳細は引用元のツイートから!よろしくね!https://t.co/0hCEsOqAzU https://t.co/iti7rllRno pic.twitter.com/PBkRzTplZB
国道14号線の名を冠したライヴ・ハウス、Route Fourteen で怪談イヴェントを見たわけですが、その国道14号線沿いにある禁足地、一度入ったら出ることができないとされる竹藪が、八幡の藪知らずです。
下に掲載している月岡芳年氏の作品、『不知藪八幡之実怪』は、 『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』展で撮影可だったものですが、徳川光圀氏(右)が藪知らずの中に入ったことを神仙(中)、仙女(左)に、咎められている場面を描いたものです。
この錦絵は、歌舞伎『黄門記八幡大藪』の興行パンフレットに掲載されたものということです。
江戸時代には、藪知らずを模した迷宮式の藪を作って、入場料を取って人を中に入れ、無事に出てこられた暁には商品を贈るという興行場もあったそうです。無事に出てくることができなかったらどうなるのでしょうか。なお、この迷宮式の興行場は、明治10年頃に復活して大流行したそうで、八幡不知(やわたしらず)、八陣、かくれ杉などと呼ばれたということです*1。
平成初頭の頃、巨大迷路なるアトラクションが全国に登場したことを覚えていますが、それを小さくしたようなものなのか、あるいはお化け屋敷のようなものなのか。全国に藪知らずを模したアトラクション(興行場)があったというのは興味深いです。
ところで、JR線の北側に八幡の藪知らずという禁足地があるわけですが、かつて(といっても数年前まで)、線路の南側にも禁足地があったことをご存知でしょうか?
今はもう廃墟ではないので、これ以上この話題を続けることはいたしません。
入ってはならないと言われている場所には何かがあるはずですが、その理由は必ずしも明示的であるとも限りません。藪知らずに入ってはいけないという、その理由についても、いくつかの説がありますが、決定的な理由はないと言えそうです。
ところで、このブログ記事の『八幡の藪知らずについて語るときに僕が語ること』という題名は、村上春樹氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』を借用したものですが、村上氏の作品名自体が、レイモンド・カーヴァーの短編集『愛について語るときに我々の語ること』*2からの借用であることを知っておいても損はしないはずです(よ)ね。
↓
村上春樹氏
↓
ノスタルジー鈴木
というわけで、本日はこの辺で。皆さん、八幡の藪知らずに迷い込まないよう気をつけてください。
国府台・ゾンビ・ストリート
冒頭でストリート・ムシャリストとしての活動実績(2021年4月上旬)を提示しましたが、小生がストリート・ムシャリストとして活動するようになったのは、 THE COLLECTORS のギタリストであり、あのaiko氏の憧れの人物でもある(そして、aiko氏の『ずっと』のミュージック・ヴィディオに出演してもいる)、古市コータロー氏の影響が大きいことは、まぎれもない事実です。
この辺の話は、先日公開された !ka !ch!kawa 『はじまりはいつも市川市文化会館』でも話していますので、リッスンしてホシーノ!
▼はじまりはいつも市川市文化会館(『!ka !ch!kawa』第71回)
そのコータロー氏が、THE COLLECTORS のヴォーカリストでありリーダーでもある加藤ひさし氏と二人でパーソナリティを務めている極悪ポッドキャスト・プログラム、『池袋交差点24時』は、小生が最も好きな娯楽コンテンツの1つです。
過去放送のアーカイヴがYouTubeでも公開されていますが、小生が好きで何度も繰り返しリッスンしている回をご紹介します。是非、リッスンしてホシーノ!
▼ホノルル・ゾンビ・ストリートの巻(『池袋交差点24時』シーズン1 第53回)
古市コータロー氏が出演している、aiko氏のミュージック・ヴィディオ『ずっと』は前回の『むろん、ストリートで!』の記事内でウォッチすることができます。
muron-street-de.hatenablog.com
ホノルル・ゾンビ・ストリート(内容は是非↑のYouTubeで音声をリッスンしてチェックしてホシーノ!)程ではないにせよ、ここ、千葉県市川市にもゾンビ・ストリートが出現します。
小生も大勢のゾンビの一員になったことがあります。
毎年1月に開催される『市川市民マラソン大会』では、出場するランナーたちは国府台スポーツセンターの陸上競技場を出発し、国府台エリアの1周5kmのストリートを2周して、競技場に戻ってくるのですが、アップ&ダウンが多い、高低差の大きな非常にハードなコースなのです。特に、競技場に戻ってくる最後の上り坂の急勾配は、ハート・ブレイク(心臓破り)の坂であり、ランナーたちは一所懸命走っているつもりでも、路傍で応援しているパースンの目には、まるで体をくねらせたゾンビが大挙して坂を上っているように見える…ことから、国府台・ゾンビ・ストリートと呼ばれているとかいないとか。
2020年1月の大会に出場し、過酷なコースに挫けそうになりながら、ゾンビ化しながらも、何とか走り切った小生ですが、機会があれば、国府台・ゾンビ・ストリートを駆け上がりたいものです。
この大会は2021年1月には新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止となっていました。次回、2021年1月にはパンデミックが収束していることを、大会が無事開催されることを願っています。
それでは、 Do The Download !*1
*1:Do The Download !とは、『池袋交差点24時』の番組最後、恒例の挨拶です。
A面:aiko氏を巡る冒険|B面:音楽家に愛される市川市
まずは、この恐るべき1曲に聞き入っていただきたいと思います。
それではお聞きください。aiko氏で、『ずっと』。
ミュージック・ヴィディオをご覧になった方はお気づきだと思いますが、何やら妖しいムード、危険な香りを醸し出す男性が登場しますよね。
彼こそは、aiko氏の憧れの男性、古市コータロー氏です。
また、氏は、ノスタルジー鈴木が憧れる数少ない人物の一人でもあります。小生がストリート・ムシャリストを自称し、活動するようになったのは、コータロー・イズムを勝手に受け継いでいる側面もあるのです。
話はaiko氏に戻りますが、aiko氏の才能は早くから各所で認められており、Mr.Childrenの桜井和寿氏も、かなり早い段階でaiko氏の才を称賛していたと記憶しています。そんな桜井氏ですが、KAN氏に敬意を示していることも知られています。
そして、また、aiko氏もKAN氏のファンであり、リスペクトの対象だと言います。
更には、aiko氏の憧れの人物、古市コータロー氏も、KAN氏のステージでの振る舞いについて、盟友・加藤ひさし氏と共に担当する「極悪ポッドキャスト」こと『池袋交差点24時』内で、畏敬の念があると語っていました。
KAN氏の素晴らしさを、このようにして(どのように?つまり、誰かがこう言っている、というような仕方で。他人の意見を引き合いにして)説明しようとするのは、良くないと反省しています。小生は、何かを説明する時に、他者を引き合いに出すという方法を好んでおらず、品がないと思っているのですが、今まさにその行為に手を染めてしまいました。素直にI'm sorry(チェッカーズ)。
ただ、いいわけ(シャ乱Q)になりますが、私が嫌うのは、何かを褒めたり評価したいときに、あるいは反対に、何かを批判したいときに、本来関係のない別の何かを持ち出すことであり、上で述べたことは、下に図示するようなミュージシャン同士の関係が「複雑にこんがらがっ」ていて面白いよね!ということに過ぎないので、そこまで反省の色を濃くすることもないな、と、思ってもいます。
…といった話を、今回もまた「市川市」と関連付けながら語っている !ka !ch!kawa 第71回目の放送、是非、リッスンしてホシーノ!
稲村ジェーンさんは無事にメダカの餌を入手できたのでしょうか?
▼はじまりはいつも市川市文化会館
そして、この放送内で語られているミュージシャン同士の関係は、こんな感じです。
図について補足します。
aiko氏がファンだと公言し、リスペクトしているKAN氏の、1990年9月1日リリースのシングル『愛は勝つ』と、aiko氏が中学生時代に好きでよくリスンしていた(という話を2015年に出演した TOKYO FM の番組でしていたそうです)という、米米CLUBの1991年9月21日リリースのシングル『ひとすじになれない』。
少し前にカールスモーキー石井氏が語っているのを聞いて初めて知ったのですが、 『ひとすじになれない』には、『愛は勝つ』のアンチテーゼという意味も込められているそうです。
信じることさ、必ず最後に愛は勝つ。
出所:KAN『愛は勝つ』
愛、ひとすじになれないから。
出所:米米CLUB『ひとすじにはなれない』
もう一点、図の補足説明になりますが、米米CLUBと THE COLLECTORS には多くの共通点があるのです。
- バンド名が「コ」から始まる
- ボーカリスト名が「カ」から始まる
- ステージ衣装がユニオンジャック柄のスーツ
- 「Collection」と「僕はコレクター」
- コータローというメンバーの存在
- デビューして30年以上(2021年で米米が37年目、コレクターズが35年目)
さて、話はまたしてもaiko氏に戻ります。
aiko氏は、少なくとも過去に2回、市川市文化会館でコンサートを行っています。しかも、その2回はコンサート・ツアーの初日です。
コンサート・ツアー初日の会場として、市川市文化会館を選んでくれるなんて、市川市民にとって、うれしいことをしてくれますね!
市川市文化会館でツアー初日公演を行うミュージシャンが多いことを、ご存知でしょうか?
少し調べただけでも、次のようなミュージシャンが初日公演を市川市文化会館で行っていることがわかりました。
- aiko (2014.01.09, 2016.05.21)
- AK-69 (2015.02.06)
- back number (2016.01.24)
- Official髭男dism (2019.10.26)
- スキマスイッチ (2016.04.22)
- スピッツ (2013.11.01)
- ドリームモーニング娘。 (2011.09.25)
- 玉置浩二 (2018.08.17)
- 後藤真希 (2003.04.13)
- 山下達郎 (2011.11.06, 2015.10.19) ※2019.6.6 初日公演が延期により日程変更
- 山本彩 (2020.2.22)
- 柴咲コウ (2011.09.23)
- 藤井フミヤ (2008.10.04)
- 米米CLUB (2019.01.11) ※ノスタルジー鈴木も参加
三郷市文化会館もコンサート・ツアー初日公演が多く行われることで知られているようです。いずれの会館とも、東京からのアクセスがよく、ミュージシャンの機材やセットなどの搬入の面でも、集客の面でも、利があると思われます。
市川市文化会館は現在改修工事中で、来年、2022年4月ごろにリニューアル・オープンする予定です。その頃には新型コロナウイルスの感染は収束しているでしょうか。
以前は小生も毎月必ず何らかのライヴやDJイヴェントなどに足を運んでいましたが、それも途絶えてしまいました。音楽産業も大打撃を被っており、私がお世話になったライヴ・ガレージも、これまでのスタイルでの営業は停止してしまいました。新しい運営方法で再スタートを切るとの話ではありますが、とても悲しい気持ちです。
気を取り直して、最高の音楽をリッスンしましょう!
それではお聞きください。星野源氏で、『うちで踊ろう』。
それでは、またお会いし魔性。ノスタルジー鈴木でした。
31年目の「浪漫飛行へ in the sky」
こんにちは。!ka !ch!kawa のノスタルジー鈴木です。
ところで、本日、2021年4月8日は何の日かご存知ですか?
と、唐突な問いを外角低めに投げ込んでみましたが…おわかりでしょうか。
ちょうど31年前の今日、1990年4月8日に、米米CLUBのシングル『浪漫飛行』が発売されました。
この曲がシングルとして発売された当時、小生や、小生が最も仲良くしていた男性は、この曲を夢中になってリッスンしていたのですが、その男性(現在、音楽業界で作詞や作曲などを生業としている彼は、アイドルへの楽曲提供などをしていますが、彼こそが他ならぬノスタルジー鈴木の名付け親です)の言葉を引用します。
この曲を初めて聴いて以来、僕は、in the sky している。
言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい*1思い入れであることは間違いありません。
そんな今日、4月8日という記念すべき日の未明、ほとんどの市川市民が深い眠りの底にいる頃、ノスタルジー鈴木こと小生は、独り、スタジオで収録していました。何を? !ka !ch!kawa を。
番組では『浪漫飛行』について、大いに語っています。当然ながら、米米CLUBと市川市の関係についても言及しています。
▼31年目の浪漫飛行へ in the sky
なお、数回前の放送と同じく、今回の放送にも、オマケ(ボーナス・トラック、または、麻婆茄子トラック)が最後にこっそり含まれていますので、お聴き逃がしのないように細心の注意を払ってリッスンしてホシーノ!*2
『浪漫飛行』と『君がいるだけで』の冒頭のリリック「何より(も)たいせつ」に注目して、数分喋っています。
放送の中では、「米米CLUBと市川市の関係」にも言及しましたが、その話題の中に登場するお店が、本八幡のアンジュールカフェさんです。本八幡には個性的なカフェ、喫茶店がありますが、その中でも私のフェイヴァリットの1つが、こちらのお店です。
▼アンジュールカフェさんのWebサイト
▼アンジュールカフェさんのTwitterアカウント
ところで、2004年8月15日に『浪漫飛行』についてこんな言葉が綴られていたので、引用します。
いくつかの要素の列挙にとどまりますが・・・
- 当時(1987年前後)Charさんと曲を作ってた石井さんによる曲(Charさんは「俺には印税が入らない」と憤怒とか)
- それまで他人を励ますような曲を書いたことのない石井さんがこれをメンバーに提示したら皆びっくりした
- 漫画家を志しながらも挫折しそうだった友人に向けて書かれた歌詞
- あまりに良質なポップソングのため、当時ステージで演るのを拒むメンバーが多かった
- 作った時から航空会社のCMソングとしての依頼がないか、と言っていたら3年後に依頼があった
- そのCMで沖縄キャンペーンギャルが出演するのが普通だが、黄金の衣装に身を包んだメンバーが海中から登場したり黄金宝船に乗るシーンで構成された
- 2004年夏の石井さんのライブで久々に生で聴きましたが、素晴らしいです
- 声と曲が完全に合っている
- 友人でミュージシャンの男は、全く違うジャンルの音楽をやってる今でさえも、「この曲を初めて聴いて以来、僕は in the sky しているんだ」と言う
・・・列挙しましたが、私は今まで生きてきて、この曲を嫌いと言った知人には一人しか会ったことがありません。
(福田十二指腸によるAmazonレビューより引用)
最後に、!ka !ch!kawa で紹介した曲(浪漫飛行)や、紹介していない曲(浪漫飛行)をいくつか挙げます。
▼そら行け!浪漫飛行(西日本版シングルの2曲目)
▼浪漫飛行(アルバム『KOMEGUNY』収録。1987年発売)
▼浪漫飛行(シングルの2曲目が"ジェットストリーム"のもの)
▼浪漫飛行(シングルの2曲目が"そら行け!"のもの)
▼浪漫飛行(ベストアルバム『DECADE』収録。イントロが特殊で素敵です)
▼浪漫飛行(ライブ盤『THE LAST SYMPOSIUM』収録、解散前のラスト・ライヴ)
▼浪漫飛行 ACOUSTIC VERSION(ベストアルバム『HARVEST -singles 1992-1997-』収録)
▼嗚呼!浪漫飛行(シングル『WE ARE MUSIC』収録、再結成後にリメイクされたもの)
▼浪漫飛行'07(アルバム『komedia.jp』収録、これもリメイクされたもの)
*2:ビートルズの『Abbey Road』における、「The End」後の「Her Majesty」に相当するものです。
【おいしくやくそく宣言】一周年に寄せて
(この記事は、『おいしくやくそく宣言』を出してから1年が経った昨日、2021年4月7日、NPO法人フリースタイル市川のFacebookページに寄稿したものです。この活動が大きなきっかけとなって、後に、フリースタイル市川を立ち上げることにつながりました。関係者の許諾を得て、ここに転載します)
* * * * *
こんにちは。フリースタイル市川のノスタルジー鈴木です。
ところで、本日(注:元記事を公開した日)、2021年4月7日は何の日かご存知ですか?
と、唐突な問いを内角高めに投げ込んでみましたが…おわかりでしょうか。
ちょうど1年前の今日、2020年4月7日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、政府は初となる『緊急事態宣言』を発令しました。これまでに経験したことのない「宣言」が出されたことで、先の見えない状況に不安を覚えた人も多かったことだろうと想像します。
そして、1年前の今日は、私たちが住む・働く・学ぶ場である市川市で、もう1つ別の宣言が出された日でもあります。
それが、『おいしくやくそく宣言』です。
『おいしくやくそく宣言』は、地域の飲食店の力になりたいという想いを、具体的な形にしたものでした。
店内飲食を休止せざるを得ない飲食店が、慣れないテイクアウトに対応するのは簡単なことではないと思います。『おいしくやくそく宣言』では、飲食店が利用者に伝えたい大事なメッセージを、デザインの力で伝わりやすくしたポスターを作成し、無料で配布しました。
また、同日には、Facebook上で「市川の飲食店テイクアウト情報グループ」をオープンしました(城谷氏がグループ立ち上げを着想した4時間後にはオープンしたというスピード感に驚愕したことを覚えています)。
このグループでは、「このお店でテイクアウトを利用しました」という利用者による情報提供や、「私のお店でもテイクアウト対応しています」といったお店からの告知を投稿していただおいており、情報共有と交流を促しています。おかげさまで、たくさんの投稿があり、現在も参加者が増え続けています。リアルで一緒に食事をすることが難しい時期に、テイクアウトした食べ物をモチョッテ(持ち寄って)、オンラインで交流するイヴェントも行いました。
▼市川の飲食店テイクアウト情報グループ(Facebook)
https://www.facebook.com/groups/794965504328103
そして、『おいしくやくそく宣言』の企画、運営に関わったメンバーは、一人では思いを行動に移すことが難しくても、それぞれが得意なことやアイディアをモチョる(持ち寄る)ことで、具体的な活動を起こすことができること、そして、活動を通じて地域で交流を生み出したり、経済活動を活性化させることも可能である、ということに気付きました。
やがて、この活動に関わったメンバーが母体となって、NPO法人フリースタイル市川を立ち上げることになりました。
この経緯については、リンク先の記事(フリースタイル市川の公式Webサイト)や、キックオフミーティング会場で配布された資料(記事内で閲覧できます)に詳しく書いていますので、ご一読いただければ嬉しく思います。
▼『おいしくやくそく宣言』について(フリースタイル市川 公式Webサイト)
『おいしくやくそく宣言』が一周年を迎えた今日、改めて振り返ってみました。
今後も、フリースタイル市川のミッションである「ひとつひとつの想いをつないで、市川に流れをつくる」ことができるよう、「それぞれが得意なことやアイディアをモチョる」ことを、おこなっていく構えです。
皆さんとも、色々な場面、局面、領域で、一緒に活動できれば幸いです!
これからも、よろしくお願いします。
* * * * *
▼おいしくやくそく宣言(2020年10月2日の当ブログ記事)
muron-street-de.hatenablog.com
* * * * *
Special Thanks To : MIKAZUKI.Design アンカー市川
派手とは何か?という問いに対する回答は「長嶋茂雄」
何の前触れもなく、ナガシマシ・ゲオならぬ、長嶋茂雄選手、否、元選手の、華麗なる守備の様子を紹介しました。
このブログ、『むろん、ストリートで!』は、千葉県市川市に棲むノスタルジー鈴木 a.k.a Nostalgie Suzuki が、市川市で出会った素敵なsomethingについて綴るメディアですが、なぜ、同じ千葉県とはいえ、市川市ではなく佐倉市出身の長嶋茂雄氏のことを書いているのか?と、疑問に思っている読者もいるのではないでしょうか。
しかし、実は市川市と長嶋茂雄氏には、浅からぬ関係があるのです。
特に、この守備、この華麗なる、というか、派手な、ド派手な守備について語るのであれば、市川市との関係を無視することは難しい程に、氏と市川市には関連があるわけです。
このことについて、昨日、つまり長嶋茂雄氏がプロ野球の公式戦でデビューを果たしてから63年目の日に公開された !ka !ch!kawa で大いに語っていますので、是非、リッスンしてホシーノ!
この放送では、他にも、
- 国府台球場について
- 千葉ロッテマリーンズについて
- 東京学館浦安高校からヤクルトスワローズに入団した直後の石井一久投手について
- 1992年の阪神タイガースについて(嗚呼!田村投手!)
- 宇髄天元と『鬼滅の刃 遊郭編』について
- 草野進の言葉について
- 恋の呼吸の使い手であると同時に、風の呼吸をも自在に操るコイ・チャンネルについて
ノスタルジー鈴木が、お得意のノスタルジックな語り口で大いに喋っております。
草野進さんの言葉を !ka !ch!kawa 内で小生ことノスタルジー鈴木が一節朗読しているパートがありますので、是非お聴き逃がしないようにお願いいたします。
非常に素晴らしい一節です。長嶋茂雄氏を称えているような言葉ではありますが、氏、個人の素晴らしさを語るだけでなく、そのことを通して、スポーツを観ることの快楽(そこには絶望や失望も包含されています!)を伝えてくれる、そんな一文です。
また、何回か前の放送(4月1日放送)に続き、またしても市川市の鉄人Sさんのことを話してもいます。
BTW、宇随天元(うずい・てんげん)さんって誰?とお思いの方は、こちらをご覧いただければと思います。
最後に、『鬼越ステイション』というグンソ/ソングの詞(リリック)を掲載して、本日の簡素なブログを締めくくろうと思います。皆さん、ご一緒に、ご唱和ください!