八幡の藪知らずについて語るときに僕が語ること
市川市に住んでいる、あるいは、棲んでいる皆様、こんにちは。
そうではない皆様も、こんにちは。
ノスタルジー鈴木です。
「行ってまいりましたよ、先日」
「何処に?」
「市立市川歴史博物館に」
「何をしに?」
「展示を見に」
「何の?」
「『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』の」
と、いうわけで、行ってまいりました。
新型コロナウイルス感染症拡大によって開催時期が後ろ倒しになっていた『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』展に。
貴重な展示を見ることができ、市川駅から京成バスに乗って堀之内まで行った甲斐がありました。貝がありました、としても、ここではあながち間違いではありません。博物館は堀之内貝塚公園の入口にあるからです。
「博物館前」というバス停から歩いて歴史博物館に向かう道中は、葛飾八幡宮や藪知らずのある本八幡エリアとは全く異なる景観が広がっています。このあたりを「奥市川」と呼び、この地域を愛でる人たちもいると聞きます。小生も、薫風を浴び、プロテイン・バーをムシャり(むろん、ストリートで!)、立ち止まって野原に咲く花を眺めました。広い空の下で!
ところで、入るべからずと言われている禁足地、八幡の藪知らずに入ったわけでもないのに、その呪いにかかってしまった(と思いこんでいる)男がいます。
他ならぬ小生、ノスタルジー鈴木です。
▼藪知らずの呪い (『!ka !ch!kawa』第72回)
!ka !ch!kawa 第72回の放送は、gate.で飼育中のメダカの餌を買うために出かけてしまったために稲村ジェーンさんが不在で、ノスタルジー鈴木がひとりでお送りしたのですが、冒頭では、『ひとくち怪談~虫唾~』という、本八幡のライヴ・ハウス Route Fourteen で2021年4月25日(日)に開催された怪談イヴェントを鑑賞した話を快調にしていたにも関わらず、中盤で「藪知らずの呪い」にかかってしまった(かもしれない)のです。
なお、この『ひとくち怪談~虫唾~』は、あの肩幅ヒロシ氏が主催したイヴェントで、特別ゲストとして(物知りの)鈴木直幸氏、そして、本八幡bot氏が登場したのでした。本八幡bot氏にとっては初ステージだったそうですが、日頃のTwitterでの発信力とは別の力である、調査力(と書きはしましたが、発信の準備にために、日常的に色々な調べ物をしているのですよね、bot氏は)をいかんなく発揮しておられ、独自の調査に考察を加えて語られた市川市にまつわるミステリーに、ぐいぐい引き込まれました。
本八幡bot、本日ライブ出演いたします!本八幡Route14様にて「ひとくち怪談〜虫唾〜」という怪談話ライブですね!
— 本八幡bot🌸 (@motoyawata__bot) 2021年4月25日
市川市にまつわる『奇妙な配置』などの話をさせて頂くぞ!
感染対策した現地またはYouTube配信で見られます、詳細は引用元のツイートから!よろしくね!https://t.co/0hCEsOqAzU https://t.co/iti7rllRno pic.twitter.com/PBkRzTplZB
国道14号線の名を冠したライヴ・ハウス、Route Fourteen で怪談イヴェントを見たわけですが、その国道14号線沿いにある禁足地、一度入ったら出ることができないとされる竹藪が、八幡の藪知らずです。
下に掲載している月岡芳年氏の作品、『不知藪八幡之実怪』は、 『葛飾八幡宮と八幡の藪知らず』展で撮影可だったものですが、徳川光圀氏(右)が藪知らずの中に入ったことを神仙(中)、仙女(左)に、咎められている場面を描いたものです。
この錦絵は、歌舞伎『黄門記八幡大藪』の興行パンフレットに掲載されたものということです。
江戸時代には、藪知らずを模した迷宮式の藪を作って、入場料を取って人を中に入れ、無事に出てこられた暁には商品を贈るという興行場もあったそうです。無事に出てくることができなかったらどうなるのでしょうか。なお、この迷宮式の興行場は、明治10年頃に復活して大流行したそうで、八幡不知(やわたしらず)、八陣、かくれ杉などと呼ばれたということです*1。
平成初頭の頃、巨大迷路なるアトラクションが全国に登場したことを覚えていますが、それを小さくしたようなものなのか、あるいはお化け屋敷のようなものなのか。全国に藪知らずを模したアトラクション(興行場)があったというのは興味深いです。
ところで、JR線の北側に八幡の藪知らずという禁足地があるわけですが、かつて(といっても数年前まで)、線路の南側にも禁足地があったことをご存知でしょうか?
今はもう廃墟ではないので、これ以上この話題を続けることはいたしません。
入ってはならないと言われている場所には何かがあるはずですが、その理由は必ずしも明示的であるとも限りません。藪知らずに入ってはいけないという、その理由についても、いくつかの説がありますが、決定的な理由はないと言えそうです。
ところで、このブログ記事の『八幡の藪知らずについて語るときに僕が語ること』という題名は、村上春樹氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』を借用したものですが、村上氏の作品名自体が、レイモンド・カーヴァーの短編集『愛について語るときに我々の語ること』*2からの借用であることを知っておいても損はしないはずです(よ)ね。
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村上春樹氏
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ノスタルジー鈴木
というわけで、本日はこの辺で。皆さん、八幡の藪知らずに迷い込まないよう気をつけてください。