K.A.F.U.とK.U.F.U.(永井荷風とライムスター)
遡ること数日、2021年4月30日は、永井荷風氏の命日でした。
終戦翌年、1946年(昭和21年)1月16日に現在の菅野3丁目にあった大島一雄(杵屋五叟)氏の家に間借りするかたちで市川市での生活を始めた永井荷風氏は、終の棲家となった京成八幡駅近くの自宅で亡くなった1959年(昭和34年)4月30日までの13年3か月、66歳から79歳までの期間を、市川市内で暮らしたことになります。
京成八幡駅のすぐ近くにあった小料理屋、大黒家に通っていたKAFU氏は、亡くなる前日にも大黒家で食事をしたことが知られています。!ka !ch!kawa 第73回『永井荷風とライムスター』で、KAFU氏の市川市内での生活の(嗚呼、幾つかの)場面について話しているので、是非、リッスンしてホシーノ!
▼永井荷風とライムスター(!ka !ch!kawa 第73回)
なお、!ka !ch!kawa で話した内容は、ほぼ市川市公式Webサイト内の『荷風の散歩道』に書かれている内容です。アシカ・ラ・ズー。
市川市に住んでいたKAFU氏は、浅草に通っていたわけですが*1、雑誌『東京人』の表紙(上の右画像)に「愛すべき散歩者」と記されている通り、KAFU氏は市川市内や隣接する船橋市の様々な場所を訪れています。
こちらの素敵なWebサイトで「愛すべき散歩者」ことKAFU氏が訪れた各所のことを詳しく知ることができますよ。
KAFU氏は自由を愛する個人主義者で、他者との共同生活は性に合わなかったことが知られています。
隣室から聞こえてくる稽古三味線やラジオの音を避けて、荷風はしばしば近くの白幡神社や、諏訪神社、市川駅の待合室で読書をし、時間を費やした。
というわけで、市川市で晩年を過ごしたKAFU氏の話を綴りましたが、上で紹介した !ka !ch!kawa 『永井荷風とライムスター』では、ライムスターの『K.U.F.U.』という素晴らしい楽曲の話もしています。歌詞の主題は文字通り「工夫」です。
常に研究
常に練習
知恵を結集し
君をレスキュー
武器はたゆまぬK.U.F.U.
武器はたゆまぬK.U.F.U.
武器はたゆまぬK.U.F.U.
出所:ライムスター『K.U.F.U.』
歌詞(リリック)はこちらで読むことができるので、チェックしてホシーノ!
はっぴいえんどや矢沢永吉氏、桑田佳祐氏など、日本語をロック・ミュージックに乗せて歌うためにK.U.F.U.=工夫をしてきたミュージシャンがいるように、日本語ラップの方法論や、なぜヒップホップをプレイするのかという思想について、スタイルについて、1989年の結成当初から検討し、K.U.F.U.=工夫を続けてきた代表的なヒップホップ・ミュージシャンがライムスターです。
この『K.U.F.U.』という曲については、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」のバトル部門に日本代表として出場し、見事優勝、世界一のDJとなった(Creepy Nutsの)DJ松永氏が、この曲のことをラジオ番組内で語っているうちに感極まって号泣 した、というエピソードも有名です。
小生は、Creepy Nuts がライムスターと共演して『K.U.F.U.』をプレイした2020年2月のステージを見ていますが、実にエモいステージでした。
ヒップホップ史上、俺が一番泣ける曲だと思ってるのがライムスターの『K.U.F.U.』で。
出所:ミヤーン氏のブログ。元の出所は、DJ松永氏の発言(TBSラジオ『ACTION』2020年2月12日)。
関連のない2つの要素を(強引に)つなぐのが好きな小生が K.A.F.U.氏のことと『K.U.F.U.』のことを話している !ka !ch!kawa もあわせてリッスンしてホシーノ!
いずれは市川市出身のラッパー、SKY-HI氏のことも綴ってみたいと思っています。
それでは、またお会いし魔性。ノスタルジー鈴木でした。
*1:永井荷風氏は、今のJR総武線で浅草橋まで出て都電で浅草に至るルート、市川駅前から上野行きのバスで浅草に至るルート、京成線を利用するルートの3パターンのルートで浅草に通っていたようです。参考文献はこちらです。→
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000130223